2009年03月30日
ハンガリー・アンジュー朝に対する好奇心
ハンガリー・アンジュー朝は、1308年から1395年までハンガリー王国を支配した王朝。フランス・カペー家の支族で、ナポリを支配したアンジュー=シチリア家の分家による王朝である。この王朝下でハンガリーは黄金時代を迎えたが、後に王国衰退の遠因が発芽した時期でもあった。
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1301年にアンドラーシュ3世が嗣子をもうけることなく没したことにより、アールパード朝によるハンガリー統治は終焉を迎える。ハンガリー貴族はアールパード家の女系子孫から国王を迎えることにし、ボヘミアのプシェミスル家からヴェンツェル(ヴァーツラフ3世としてボヘミア王を、またポーランド王を兼ねた)、バイエルンのヴィッテルスバッハ家から下バイエルン公オットー3世がハンガリー王位に就いたが、いずれも短期間で廃位された。
その後、アンジュー=シチリア家のナポリ王カルロ2世とハンガリー王イシュトヴァーン5世の娘マーリアの長男カルロ・マルテッロの息子カルロ・ロベルト(カーロイ・ローベルト)が1308年にカーロイ1世として即位することになった。これがハンガリー・アンジュー朝の始まりである。
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カーロイ1世の治世はハンガリーの再建にほとんど費やされた。即ち、金属の独占と通貨改革で国庫収入を安定させたのである。折からの銀山出高の増大が一層の拍車をかけた。
カーロイ1世の守勢的な政策は対外政策にも表れた。ダルマチアをヴェネツィア共和国に割譲し、ボスニアへの支配を名目的なものに留めたからである。もっとも、カーロイ1世の対外政策は必ずしも守勢的ではなかった。膨張著しいハプスブルク家に対抗するために、1335年にボヘミア王ヨハンとポーランド王ヴワディスワフ1世を仲裁することによって、ハンガリー(アンジュー家)・ボヘミア(ルクセンブルク家)・ポーランド(ピャスト家)の3ヶ国連合を築こうとしたからである。これは婚姻政策にも現れており、カーロイ1世は最初にヨハンの妹ベアトリックと、次にヴワディスワフ1世の娘エルジュビェタと結婚している。特に、後者はハンガリー=ポーランド連合王国への道を開くものであった。(ウィキペディアより引用)
ヨーロッパの歴史をみてみると王位継承問題がいかに大切かがわかります。
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